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執筆者の写真Massako Mizoguti

宮島のたのもさん

旧ホームページ(この記事は2008.2にアップ)より転載

広島の友人が主催するアトリエ ココ、NPO法人おやつくらぶの

デザインワークを担当していた私は 友人らに宮島の「たのもさん」のことを聞いてみましたが、 広島市内の彼女たちからは、最初は特に反応はありませんでした。 でも、行事のことを何度か話すうち、興味を持ってくれるようになり、

ついには当日行ってみてくれました。 すぐそばといっても普段は行くことのない宮島の、八朔行事に、

彼女らは感激して帰ってきました。 安芸の宮島というと、厳島神社の存在が大きいせいか、 かえってこのささやかなお祭りが、地元の人たちのものであり続けたように思います。 その上、ちゃんと旧暦の八朔(八月朔日)、新月の日の夜に行われています。 自分たちのための祭りとして、賑やかに行われている様子に私も感動しました。 そして、今もしんこで人形(ヒトガタ)や犬などをつくり、その他のお供物と共に これまた手作りの「たのも船」に乗せて、宮島の鳥居を目がけて対岸へ送り出す様子を

報告してもらいました。

海へ流す前に神主さんのお祓いを受ける。子供たちの力作「たのも船」もずらり。2008年


家族の人数分の人形と犬は欠かせない。

昔からカサを被り、簡略ながら紙衣(たすきや前かけ)をつけるようです。 この「たのもさん」、「田の面」とか「田の実」「頼み」など言葉に違いはありますが、

全国的に行われたた行事です。 現在は瀬戸内海沿岸に特によく残っていて、しんこ細工をともなっています。 尾道の「田面人形」は廃絶のようですが、『うなゐのとも』には、

備後福山、松永の八朔の人形として描かれています。 いずれも紙衣を着ている点が興味深いところです。 四国の伊予地方でも現在「たのもさん」はあるようですし、

八朔のしんこ細工としては、丸亀、仁尾などの「八朔のだんご馬」、

牛窓の「ししこま」などの他、福岡芦屋にも八朔馬や団子雛が残っています。 しんこ細工はなくても、各地で団子をこねたり、餅を搗いたりして八朔を祝ったようです。 江戸時代の越後新発田領の農民の生活を知ることのできる「粒々辛苦録」には 「八月 朔日 頼(たのも)の祝いと云て、この日は米の餅を搗く」とあり、 普段は米を十分に食べれなかったのか? 

搗いたのは粳の餅だったのか?などと思いをはせます。 これらの行事は、稲の豊作とともに家族の安全を願うと思われ、

宮島の「たのも船」は、月の光のない夜、 ろうそくを灯した船に乗せて、神様のもとへ送り届けるお供物のようです。 この行事、人々の心情や素朴なお供物の形態がとてもよく残っています。 2008.2 2010年、願いがかなって宮島へ。 朔の夜で、あたりはまっくらですが、四宮神社下のもみじ谷には光とざわめきが満ちて、

なにかおとぎ話の情景のよう。 お祓いが終わると、三々五々たのも船をかついで浜に下りていき、順番に流します。

祓い流す意味あいもあるようです。 神さまの土地である宮島は、その土地を耕すことができないため、

農作物を大切に思う気持ちは他所より強かったとのこと。 今も変わらず島の人たちの思いをのせて、対岸の稲荷神社へ向かう「たのも船」が

大きな鳥居に引き寄せられるようにゆっくり流れていきました。

2011.4 追記

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