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執筆者の写真Massako Mizoguti

「生じめ」と「白雪糕」そして「ペクソルギ」(再掲載)

旧ホームページ(この記事は2010.11にアップ)より転載


「白雪」という今は幻の菓子があります。 良寛さまがこの菓子をご所望になる手紙が三通ほど確認されています。 それについては「良寛さまおこのみ 白雪こう」という菓子をつくられる

新潟県出雲崎町の大黒屋さんに教えていただいたことをまとめた

「良寛さまと白雪をご覧いただけたらと思いますが、 「白雪」という菓子は江戸時代後期にすでに、落雁との区別が判然とせず、 「ハクセンコ」「ハクセッコ」などの呼び名が、今も西日本各地に残っているのですが、 もとはどのようなお菓子であったかは、すでにわからないというのが現状です。 本来の「白雪」は、生の米粉(ウルチ)をワクに詰めて蒸す、蒸し菓子です。 しかし、モチ米粉を炒ってからワクに詰めた後、乾かす、という「落雁」の製法が広まり、 日持ちもよく、作業が簡単な落雁的製法に飲み込まれていったようです。

現在は炒った米(ウルチも)の粉を使う。出雲崎の「良寛さまおこのみ白雪」。

「薬白雪」に因み山芋粉も入っています。以前は蓮の実の粉も入れていたとのこと。

良寛さんの時代、越後ではまだ生のウルチ米の粉を蒸していたと思われますが、

江戸では、すでに少し変化し始めていたかもしれません。

「白雪」の流れをひく越後長岡の銘菓「越の雪」も、最初はどうだったのでしょうか? 「越の雪」という菓子は明治時代には長岡以外でもつくられていました。 藩主が贈答などに用いたことで、江戸でも名が知られるようになると、

菓子屋はご注文に合わせてつくるのが仕事でしたから、それぞれのお菓子屋が工夫し、 それぞれの「越の雪」をつくりあげていた様子が、明治くらいまでは見うけられます。 そうした積み重ねの中で、銘菓「越の雪」が認知されていったのではないでしょうか。 本題に戻り「白雪」は韓国の「ペクソルギ」とルーツを同じではないかと思います。 「ペクソルギ」は、韓国でも漢字表記すると「白雪」です。 そして、製法は生の米粉に砂糖(入れないの場合も)と塩をあわせて、しっかり蒸します。

「粉を蒸す」ということに馴染みのない日本人には、ちょっと理解不能に陥りがちですが、 「生の粉を蒸す」蒸し餅です。韓国では「お餅」の部類です。 新潟では一般に「押しもの」「打ちもの」などを「粉菓子」と言います。 粉を蒸す「粉餅」の流れをひいたからこその「粉菓子」かなと想像します。

韓国の「ペクソルギ」(写真上)、長崎・佐賀の「口砂香」、沖縄の「コー菓子」、

東北の「塩釜」、新潟にいまだ残る「むつの花」「庭砂こう」、

さらに江戸期の「算木餅」「乳の粉」などなどを検討し、 長い間、越後の「粉菓子」のルーツ「白雪こう」について考えていたのですが、 最近あらたに大きな出会いがありました。 今年の五月に金沢の寺島蔵人邸に伺い、お茶をいただいた時、 出していただいたお菓子が、一番上の写真の「生じめ」でした。 口に入れると、他に同じような菓子がないと感じ、強い印象が残りました。 秋田の「山科」という不思議な菓子と、近くもあり、また違っていたのです。 自宅に帰ってきてから、レンジで温めました。 温めた「生じめ」はとてもおいしく、これは「白雪」の名残に違いない!

そしてなにより、温めた「ペクソルギ」にとても似ていたのです。 おそらく金沢の「生じめ」をよく知る方がたは、まさか、と思われるかもしれません。 それでも私は、落雁文化一色になっていると勝手に思いこんでいた金沢に、 「白雪」の名残が、新潟以上にもとの形を残してつくられていたことに、

ひとり深く感動しました。 その後、寺島さんが「生じめ」製造者の「吉はし」さんに聞いてくださったところ、 「白雪」の名も出たそうで、先代がつくっていたものを少し改良されてたとのこと。 金沢では、他のお菓子屋さんでもつくられているようです。

ただ、出雲崎の「白雪」の大黒屋さんもおっしゃるように、

店売りはむずかしいと思われます。 食べる前に「蒸す」ことで、本来のおいしさをより発揮すると思われるからです。 金沢でも茶席でつかわれることが多いのは、

直前に蒸すこともできるからではないかと思います。

大徳寺納豆入りの「生じめ」は、塩味が生きて絶妙な味わいでした。 私にこのお菓子との出会いをつくってくださった寺島さんに感謝です。 砂糖を入れないことがあっても、塩は必ず入れるとされる、ペクソルギ。 「塩釜」が「白雪」の名残といわれる所以が隠されているように思います。 秋田の「山科」も「白雪」のもっちりした食感を引き継いでいるようにも思われます。

そして、韓国の白雪こう「ペクソルギ」と塩茹での小豆の層を重ねて蒸したものが、

上の写真の「シルトック」です。 お祝い事に欠かせないお餅で、日本のお赤飯といったところでしょうか? でも米はウルチです。そして粒食でなく粉食です。

ウルチの蒸し粉餅が「お餅」の基本のようです。 「シル」とは甑のこと。素焼き焼締めで底が丸く、大きめの穴がいくつかあいた甑です。 薩摩の「高麗餅(これもち)」は、朝鮮半島から連れてこられた陶工たちがつくったのが始まりとされており、 朝鮮人陶工たちが祀った神社では、シルトックに近い蒸し餅が今も供えられているようです。 また、和菓子の「村雨(種)」や「時雨(種)」はシルトックが和菓子化したものに思えます。 「炒粉餅(いこもち)」や「かるかん」も、ペクソルギからの遠い親戚なのかもしれません。 「かるかん」にも一筋縄でいかないストーリーが秘められていそうです。 最後になりましたが、寺島蔵人(1777~1837)について。 加賀藩に仕え、奉行職など歴任し、民衆からも信頼の篤い武士だったそうですが、 正義感の強さゆえ、他の重臣との対立もあり、藩主急死に際し、能登島に流される運命に。その年のうちに能登島で亡くなるのですが、 能登島で書いた日記(『島ものがたり』)には、珍しい金花糖をはじめとしたお菓子についての記述もあって 蔵人のもとへ、たくさんの食べ物や菓子が届けられた様子が伝わります。 お屋敷は、金沢市の文化施設の一つとして一般公開されておりますので、どうぞお出かけください。 詳しくは「寺島蔵人邸跡ホームページ」でどうぞ。

2010.11

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