旧ホームページ(この記事は2012.1にアップ)より転載
「だごびーな(団子雛)」のことをいろいろ教えていただいた
福岡県遠賀郡芦屋町の教育委員会発行の「芦屋かるた」が届きました。
郷土かるたは、その土地の魅力が選りすぐられ、短いフレーズで表されているので、
知らない土地のことを概観できるツールでもあります。
その上、絵札があるので目でも覚えることができ、一石二鳥です。
芦屋町は芦屋と山鹿地区から成り、茶の湯の世界ではよく知られた芦屋釜を産し、
また、源平の合戦の際、平家側について戦った武将、山鹿秀遠が治めた地でもあります。
日本海と遠賀川という海運・水運に恵まれ、歴史も古く、かるたの題材にこと欠きません。
その中には、私の目当ての八朔行事ももちろん含まれます。
「だごびーな(団子雛)」と「八朔馬」です。
八朔とは、8月1日(朔日)のこと。芦屋では今も旧暦八朔に近い9月1日にお祝いをします。
それは、もともと稲と関係深い行事であるため、
稲の生育に合わせることが大事だからです。
旧暦の八朔頃になると、いよいよ稲が稔り始めます。
稔りはじめた稲が、やがて頭こうべをたれ、黄金色になるまでの期間は
台風などの災害により台無しにならぬよう、無事の稔りを祈るしかありません。
ヨーロッパでは、「畑に麦が立っている間は踊ってはならない」という言い伝えがあると
パンの文化史を研究される舟田詠子先生のエッセイにもあります。
それまで手をかけ育ててきた穀物の最後の熟成期間には、
他のことに心を奪われてはいけないのです。
稲も同じこと。
そのため、八朔に稔り始めの稲を少し刈り取って神さまに捧げるなどして、
無事の収穫を祈り、頼みます。
地域によっては、「たのみの節供」「たのもさん」などとも呼び、
各地で行われてきた農作儀礼でした。
この日は同時に、子供の成長を祝い、頼むことも盛んでした。
子供が生まれたばかりの家では、特に初節供を盛大に祝ったそうです。
芦屋では、女の子の初節供には米の団子(しんこ)で雛をつくり、
男の子の初節句には稲藁で馬をつくります。
だごびーなや藁馬は子どもが生まれた家でつくられ、もらいに来た人にはあげるのです。
八朔を祝う習慣の残る地域(瀬戸内海を囲む地域に多い)では、雛祭りは八朔の行事でした。
八朔雛、八朔の初節供・初馬の習慣は九州北部でも、少し前までは行われていたようです。
3月の雛祭りは、中国起源の上巳の節供と宮中の雛遊びが起源ともされていますが、
八朔の雛祭りは民間の稲作儀礼がルーツのようです。
八朔には稲穂も(子供も)雛の状態。
その雛が無事成長するためのおまじないの日なのではないでしょうか?
実はダゴビーナの写真は、『お守り菓子』の表紙にも載っているのです。
「だごびーな」の写真だけ、私の写真ではなく、芦屋町教育委員会よりお借りしました。
どれだかわかりますか?黄色い着物を着たお雛様です。しんこ人形です。
最初の写真にある、かるたに描かれた稲藁でつくる馬には、
郷土の英雄、山鹿秀遠の幟が立てられています。
武将の名が添えられながら、藁馬に乗る紙雛は、菅笠をかぶる踊り子風にも見えます。
「だごびーな」も古い写真を見ると、踊り子姿です。
これは、宮島や尾道、伊予地方の八朔人形にも共通しています。
八朔に集団で連なって踊り歩くことには、
「稲や子供にとってまがまがしいもの」を祓い送る意味があるようにも思います。
この時期の祭に多い、集団で通りを踊り流す行為は、悪霊退散を促すお呪まじないでもあったのではないでしょうか?
楽しみ踊ることを禁ずる麦の民俗と、祓いの行為として踊る米の民俗、
どちらも「踊り」を意識してて興味深いです。
宮島の「たのもさん」でも、しんこ人形に紙の菅笠やタスキをつけるのは、
「踊りに行くため」とされます。
さらに「馬」や「笹飾り」などの習俗が重なりあって今も続けられている芦屋の八朔行事、
いつか訪ねてみたいです。
参考 : 『芦屋町文化財調査報告書 第16集 芦屋の八朔行事』 芦屋町教育委員会
八朔行事については、2011年に平塚公民館で行われた小島瓔禮よしゆき先生の七夕講座(全7回)において、八朔や馬、踊り、笹飾りなどについての興味深い考察を聴講させていただき、八朔、そして二月朔日のしんこ細工にもつながる大きなご教示をいただきました。
2012.1
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